父・河崎利明 遺稿集
おいちい
父・河崎利明 遺稿集「はとからすやまとりのこみ」より
松竹の常務の山内さんから新しく作りなほされた新橋演舞場の切符を頂戴した。勘三郎の「道玄」(盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめのかがとび))だった。丁度そこへ下谷の画商が小笹に包んだ鮨を土産に訪ねて来たので、その鮨と茶を持って出かけた。私は幕間に「加賀鳶」と「「盲長屋」の説明を聞かせた。次の幕間は「二十五分」と点燈された。妻はトイレに立ち私は鮨を食べ出した。となり組は海苔巻といなり寿司、うしろの連中はサンドイッチだった。妻はトイレより戻り「どれがおいしいですか」ときく。「小鯛がおいちい」といったら、となりの客はちょっとギクッとし、妻の顔は赤くなった。
劇場から帰ると早速妻が噛みついて来た。「今日ぐらゐ辱しい思ひをしたことがない。何もあんなところで幼児語を使はなくともいい。隣りの人も驚いたらしいわ。まるで精薄児と一緒に居たみたい。もうあなたとは一生外出しません」といふ。
「たかが(し)と(ち)と一字違っただけでこれから二十年、三十年一緒の夫婦が共に外出できないのは大問題だ」といふと「いえ、今度ばかりぢゃありません。あなたは何時か百円玉を落した時、片足を大きく後ろに引いて捜した。
デパートのエスカレーターの上りに後ろ向きに乗ったこともある」「あれは演劇の一種の型で大阪ニワカでもコメディ・フランセーズでもあの形で物を捜す。エスカレーターで後ろ向きに乗ったのは、あとから私を見て下さいといはんばかりのゴテゴテ女がきたからその供養のためだ。
下りで後ろを見るのはショートスカートの中を覗くやうでよろしくないが上りはかまはない」そこで論戦になった。その途中で大学生の娘が帰って来た。「何を爭っているの」「ちょっと、ちょっと聞いてよ」「いや俺のいふことも聞け」一部始終を聞いた娘はただ一言「天下泰平だわ」といって自分の部屋に入ってしまった。
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父・河崎利明 遺稿集「はとからすやまとりのこみ」
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