ESSAY|エッセイ

父・河崎利明 遺稿集

乞食の話

父・河崎利明 遺稿集「はとからすやまとりのこみ」より

私が幼少のころ住んで居た茨城の町にいろいろの乞食が居た。

朝、寝床の中で目が覚めると、遠くからこんな声が聞えてくる。「俺はいざり(躄)だ。かんねようー。誰も相手にしてくれねんだ かんねようー」その声はだんだん近くなる。家の前を通る時、一番はっきり聞える。そして、その声はだんだん遠ざかってゆく。淋しかった。冬など寝床の中で凍える思ひで、その声を聞いた。「俺はいざりだ かんねよー。誰も相手にしてくれねんだ かんねよー」

コキといふ中年の男の乞食が居た。何故コキといふか誰も知らない。唯みんなコキ、コキといふ。店の中にづづっと入って来て左の掌を上にむけ、右の人差指でその中央をつつく。唖だから何ともいわない。ア、ア、アアといふだけである。その掌に銭でも食物でも乗せろという意味だ。五厘でも一銭でも、やるまではア、ア、アアと掌をつついてゐる。中には腕をつかんで外につれ出す家もあった。

 

コンちゃんといふのは必ずバケツを持って踊るような足どりで、三歩前進二歩バックして歩く。だからなかなか進まない。併し、本人は泰平なもので、目的地に五分の一の速度で着くことを意に解しない。チャッ、チャッ、チャッと歩いて、トッ、トッと戻る。何故そんな歩き方をするのかと聞いても、ニヤニヤ笑ふだけだ。その足つきで店の中に入ってくるのは何ともユーモラスだった。

 

オッフォンといふのも居た。ヒゲ男の偉丈夫で町を歩くとき自分の名前を名のり、「森川ユーゾー、おっほん」といって入って来て、框(かまち)に腰を下し「お茶」といふ。どういふものか店ではオッホンが来るとお茶を出した。お茶をのみ終るとオッホンはぼう然と手を出し一銭(今の五円位)もらって帰る。或る時のみ終わった茶碗にペッと唾を吐いたので、私(小学二年生)が「汚いなあ」といったら、「馬鹿もん!」とおこられた。

 

おせいちゃんといふ背の高い女の乞食が居た。町外れの藁の家に住んでゐて昼間は町に出て来た。心得たもので、金のくれる家だけ入り、あとは町をぶらついてゐた。小学校の生徒はおせいちゃんをからかふのが好きで、後ろからわらじやなんかをぶっつけると二十歩ぐらい追ひかけてくる。それが面白くて「おせい、おせい」といって背中にぶっつけては逃げる。ほかの乞食はぶっつけても、追って来ないからつまらなかった。或る日、「おせいちゃんが死んだ」といふ友達が居たので町はずれの藁の家を見に行った。その時は、もう藁の家の中はからっぽだった。

 

いろいろな人から面白い乞食の話を聞いた。その話は別に書く。モロッコのフェズの路次、大寺院の裏で夕ぐれ時、石に靠れて小憩してゐた。ひょっと気付いたら二十人居る男たちはみな乞食だった。びっくりしてすぐ立去った。私の句に「路次暑し 我よりほかはみな乞食」といふのがある。

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父・河崎利明 遺稿集「はとからすやまとりのこみ」

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