東京の坂の名

父・河崎利明 遺稿集「はとからすやまとりのこみ」より

父・河崎利明 遺稿集

Essay|エッセイ

麻布に家を買ったのは昭和三十五年だった。田舎の幼稚園で男の子に殴られ同年輩男性恐怖症になった娘を何とか東京の幼稚園に入れるためだった。麻布一本松の北京貴族中国人の所有の家で、まわりは大使館や外国人の住まいが多くエキゾチックでもあり、また震災、空襲をまぬ がれた江戸、明治の匂いも残っていた。近所にはやけに坂が多い。狸坂、暗闇坂、一本松坂、金魚坂、芥(ごみ)坂、仙台坂、狐坂、奴坂にかこまれた一郭だ。次第に歩く範囲を拡げ、麻布全体の坂の名の由来を調べ、江戸時代からの変遷を調べ、文学、歴史との関係を調べた。朝早くから車を停め、昔からその坂付近に住んでいた老人たちに話を聞く。羊羹を切り、お茶を御馳走してくれる家もあった。

 

古河に士族の鷹見さん(鷹見泉石の曾孫)が居られる信濃町の東京都資料室に行くと、ふんだんに資料が揃っていて、御府内備考、江戸名所図絵、柳の一本(ひともと)、各区区史などから多くの資料を抜き出した。それから赤坂、小石川、谷中、市ヶ谷、高輪などどんどん拡大し、大きくカーブしていて何回もトラックがガードレールを破壊する立川の「とびこみ坂」まで遠走り、遂に八百ばかりの坂の名を採録し、実地も多く歩き、何冊かのノート切抜帳もふくらんだ。

 

丁度その頃、横関英一氏の正、続「江戸の坂、東京の坂」更に石川悌二氏の「東京の坂道」が刊行され、読んでみるとどれも私の研究より精細にして深いものであった。明治、大正の文学との関係のみがいくらか私の方に多かった。横関氏とは関係が深い。横関氏は川越の、私は古河の共に肥料商人の息子であり、氏の勤務先小石川高校(旧東京府立五中)は私の母校であり、氏の師事する真山青果 氏は私に縁談のあった美保さんの父である。そんなことから横関氏とは彼の死まで文通 していた。

 

坂の中には面白い名がある。早稲田の学生が名をつけた「おかめ坂」(目白。江戸時代は豊坂)は日本女子大生が早稲田の方へ多く下りて来るからで、別 名「ひょっとこ坂」は日本女子大生が報復的につけたものだが、この方はあまり普及しなかった。

 

私の一番好きな坂は谷中に在って寺と墓地の間をひっそり曲がって下る、車の通 れない「蛍坂」だ。

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父・河崎利明 遺稿集「はとからすやまとりのこみ」

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