ポケット

父・河崎利明 遺稿集「はとからすやまとりのこみ」より

父・河崎利明 遺稿集

Essay|エッセイ

胆石の手術で赤坂の前田病院に入ってゐた。後厄の年である。院長は有名な前田博士で八十歳だ。婿博士を助手に執刀された。週末には甲虫のワーゲンで国立(くにたち)の別荘に行かれる。別荘は林の中にある。鋸で雑木林の木を切って薪をつくり、その薪で炊事をし風呂を焚かれ、独居生活を娯しむといふ。

 

先生とはすぐ親しくなった。退院まで四十日はかかる。そのうち下痢をした。「先生、今朝下痢をしました」といったら、「それはいけませんな。苺ジャムぐらいですか」、「お丼にかゆをよそって箸を立てると箸がゆっくり倒れるくらいです」と答へると、「よく状況は判るが、君、たべもので形容するのはきたないよ」と矛盾したことをいはれた。

 

無聊(りょう)なので変なことを考へついた。人間の体にポケットはつかないか、といふことで、早速先生にたづねたら「人間の体は拒絶反応があるから縫合も貼着もむづかしい。併し、皮膚をつまんで縫合するとつまんだ部分が角質化する。それには別の動物の皮でもつくよ」といはれる。偶々、日本皮革の人が見舞に来たので話したら、「それには牛皮、それも胎児の皮が最適で、薄くて丈夫です。なんなら三十糎四方位お持ちしましょうか」

先生に話したら、「それはいいねぇ、どこにつけるか研究して置きなさい。僕も人間の身体にポケットをつけるのは始めてだから楽しいよ」と本気か冗談か判らない口調でいはれた。

 

そこで考へた。胸では夏、人に見られることが多いし、尻では物を入れて坐ったとき邪魔だ。腹の真中ではカンガルーになる。結局へそのななめ左下に決めた。ところがいろいろ障碍が出た。

先づ女房が「嫁入り前の娘を持ってゐてカンガルー人間になってどうなるのですか。あなたの事だから必ずほこらしげに話し見せびらかすはづです。週刊誌に知れたらどうなると思ひます?日本中の嗤ひものになる」といひ出した。また、ある女好きの友人は自分の身になって考へて「そのポケットは避妊具を入れるに絶好だ。しかし、浮気の相手がポケットを見てゲラゲラ笑ひ出したら絶対ムードをこはす。やめておけ」といふ。

 

老先生は相変らず本気か冗談か「どうです場所はきまりましたか。やりましょうや」といはれる。結局やめた。

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父・河崎利明 遺稿集「はとからすやまとりのこみ」

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