ESSAY|エッセイ

父・河崎利明 遺稿集

K・Tの話

父・河崎利明 遺稿集「はとからすやまとりのこみ」より

慶應の予科に入って友人になったK・Tといふ四谷の瀬戸物屋の伜で変った男がゐた。

入学してすぐ「慶應一の美男子、K・T」という名刺を作り、友人や喫茶店の女性にばらまいた。「貰った人間は必ず俺の顔を見るぜ」と得意になってゐた。ちなみに彼の顔は後年の俳優植木等にちょっと似てゐて、クラスでつくった美男子番付では四十何人中十位ぐらゐだったと思ふ。

 

七月の最初の学期末試験の時、彼は明礬を水で薄めた液でペンの答案を書き、終りに万年筆で「焙ると出るよ」と記し、すべての先生に答案を焙らせた。点数は結構よかったさうだ。

フランス語の授業の時、原文はつかへつかへ読み訳文の方は禁じられたアンチョコを挾んであるのをすらすらと読んだ。W先生が怪んでさっと近寄り教科書を覗きこむと彼はぱっと教科書を左胸につけ歌舞伎役者口調で「勧進帳だあ」といってW先生を苦笑させた。

 

赤い下着をつけてゐて得意になって人に見せた。本科に入って夏、カンカン帽に慶應の記章をつけて登校し有名になった。とにかく目につく。塾監局が取り上げるとまた別のカンカン帽を被って来た。当時カンカン帽は五十銭(昭和六十三年価格千円)位だった。

 

銀座で四、五人の友達と歩いてゐる時、突然彼は「この歩道に五分間寝てゐたらハンバーグおごるか」ときき、みんな面白がって「よからう」といったら、とたんに寝ころがって腕時計を見てゐる。友人は恥しがって遠くの方から眺めてゐる。老婦人がよって心配さうに「どうされました?御気分が悪いのですか」と覗きこむと彼は「いえ何ともありません。有難うございます。このまゝにして置いて下さい」といひ、五分間たったら「モナミ、モナミ、ハンバーグ」ととび起き友人の方に走って来た。

 

卒業して北海道炭砿汽船に入社した。入社してすぐ現場の船長がやって来、彼は昼の接待役を命ぜられた。課長が「せいぜい馳走してやってくれよ」といったので会社ゆきつけの柳橋の待合へ連れてゆき芸者を呼んだ。請求書を持って会計に行ったら会計は驚いて課長のところにとんで行き、課長は副部長のところにとんで行き渋々金を出しながらいった「君はもう接待はするな」

其の後彼はすぐ会社をやめた。やめたあとの彼とはクラスが違ふので逢っていない。

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父・河崎利明 遺稿集「はとからすやまとりのこみ」

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