ESSAY|エッセイ

父・河崎利明 遺稿集

一番古い記憶

父・河崎利明 遺稿集「はとからすやまとりのこみ」より

自分にとり一番古い記憶は何であるか、一寸した大問題だ。

トルストイは生まれてすぐの“たらい”の感触を覚えていた。北原白秋は一歳の時、象の肌のような、海の面 を見た記憶がある。幼児追憶の文学には丸岡明の「幼年時代」、室生犀星「幼年時代」、トルストイ「幼年時代」、北原白秋「思い出序文」、芥川龍之介「少年」、大岡昇平「幼年」、夏目漱石「道草」、森鴎外「○タ・セクスアリス」、カロッサ、堀辰雄とあげ出したらきりがない。とにかく私は幼年追憶の文学が好きだ。

 

四歳の時の大震災の記憶は生々しい。その時父はよろけながら、(最後は四つん這いで)離れから我々の居る居間まで来た。木造三階建ての村沢旅館が倒壊したこと、夜、東京方面 が真っ赤だったこと、竹藪の中に提灯をつけて寝たこと、東京にいる大勢の親戚 が我家に避難してきたことなど、いくらでも覚えている。

三歳まで遡ると割に少ない。渡瀬の川原で船底に一枚のカルタが落ちていたこと。夜中、闇の中で目覚めたら、隣の部屋から明るい人の声が聞こえてきたこと。夏、二重の簾が木目模様に揺れ、バケツの水の紋が天井に反射し、揺れていたことなどである。

二歳の記憶はない。唯、ある夜に関するおぼろげな何かがある。どうしても捉えられない。この記憶をつかまえたら死んでもよいと戦地で思った。

 

高校の娘に、お前にとって最初の記憶は何かと訊いたことがある。

「パパ、うんこに旗さしたことない?」という。

思い出した。娘が四歳の頃、一緒に烏山に住む姉を訪ねた。途中、宇都宮のデパート食堂でお子様ランチとエビフライを食べた。食事が終わってから何となく日の丸の旗のついている楊子をお子様のチキンライスから抜き取りポケットに入れた。  烏山に向かう途中娘が「パパ、うんちゃん」という。林の中でさせ、紙を探したポケットからさっきの日の丸の旗も出てきた。そこで何ということもなく、うんこの上に刺した。これが娘の印象に強く残ったのであろう。

 

誰でも幼年の頃の記憶は神聖で美しいもの、そして、うら悲しいものである。それを汚したことを心から娘にすまないと思っている。

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父・河崎利明 遺稿集「はとからすやまとりのこみ」

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