ESSAY|エッセイ

父・河崎利明 遺稿集

食  堂

父・河崎利明 遺稿集「はとからすやまとりのこみ」より

(一)

六本木の「カロリー」に入って、ハンバーグ・ランチをたのんだ。テーブルに一人の客は私だけで、どの席も二人から四人のグループだ。しばらくして如何にも新劇でもやりさうな二十歳後半の男女が入って来た。見廻しても空席がない。

男がそばで「ないや、ここに坐らう」と私の横の席に着かうとした。言下に女が「いやよ、話みんな聞かれちゃうじゃない」と人差指で私をさした。憤慨したが此所は冷静に女の背中をつついた。ちなみに女性の身体で触れてよいのは背中とひじから上の腕だけだ。女は冷然と私を見下した。「君達のくだらない話は聞かないから、此所に坐りなさい」女は無言で男の腕をとり「いこいこ」と出て行った。禅問答に負けた感じである。

不愉快だったので、来る人ごとに此の話をした。友人はみんな言う。「それはお前が悪い。お前位何でも聞いてやらうと好奇心に満ちた顔の男は居ない」。

 

(二)

歌舞伎座の前の「弁松」に入って、此所の有名な「幕の内弁当」をたのんだ。上はお菜(さやえんどう・里芋の煮付・つとぶ・玉子焼き・えび・焼肴等)。下は飯(俵状の飯にごまがふってあり、紫蘇がついてゐる)。

たべていたら父親と息子と入って来た。父親は地方から来たらしく、息子はシャツにW(早稲田のマーク)のバッヂ。四人掛けの私の席に着いた。「失礼します」、「よろしいですか」、「お邪魔します」の一言もない。そして親爺が訊いた。「おめえ何にする」。息子「おれ、これだ」といって私の弁当の横腹を指でたたいた。これも憤慨のたねだった。

食事が終って一言なかるべからず、指でたたいたのは失礼だと文句をつけた。二人とも唖然として口を開いたままだった。息子は喧嘩したら負けさうな位大きい奴だったので急いで外に出た。

 

(三)

高島屋の一般食堂で二色弁当をたべた。斜め半分が炒り玉子、あと半分は鳥そぼろ、境界にグリーンピース、紅生姜が一寸ついてゐる。

食べてゐる時、私の正面に中年の商人風の男が一寸頭を下げて席につき、天丼をたのみ、すぐ運ばれてきた。男は一口たべて、ゴホッと噎せて飯粒をはねとばした。丁度半分たべた二色弁当の上にも散らかった。

男は直立して「これはすみません。大変失礼いたしました。とんだ事を致しました。お宥し下さい」とあやまったが、弁当を弁償するとはいはない。此の時、最初に心に浮んだのは河崎利明たるもの如何なる態度をとるべきかであった。「いやいや御心配なく。結構ですから」と口から出かかったが、しかし、これは何となくしたくない。「けしからんじゃないですか、別の弁当をとって下さい」といふべきか。これも私らしくない。

結局、中途半端な顔をつくり、「いやいや」とか何とかモグモグいって、弁当のふたをして立ってしまった。

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父・河崎利明 遺稿集「はとからすやまとりのこみ」

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