京の宿(1)

父・河崎利明 遺稿集「はとからすやまとりのこみ」より

父・河崎利明 遺稿集

Essay|エッセイ

京都の五条坂の途中に「佐分利」といふ小さな宿がある。京都独特の一見さんは泊めず朝食以外は仕出し屋から料理をとる三部屋だけの宿である。

 

宿の女主人は祇園の福葉といふ妓がパトロンを得て妓をやめ、始めたもので、パトロンの赤ちゃんも居た。女主人は誠に合理的な考えの持主で、舞妓の時から人生に目標を持ち、その通り生きて来たと話した。つまり、何時パトロンを持ち、妓をやめ、宿を買ってもらひ、何時子供を生む、これすべて計画的な進行だとうふ。何となく味気なかった。

 

夕方、玄関に面した応接間で京都新聞を読んでいたら、一人だけの女中が何か袋を持って帰って来た。「今日の二階のお泊りはFさんとあなた様です。Fさんは酒をのまず、アンパンが好きなので、石段下のおいしいいパン屋さんからアンパンを買って来ました」と話した。

 

夜になった。春雨がシトシト降って来たので、先斗町のゆきつけの店に行かず十時頃床に入った。枕元に一月に死んだ母の位牌を置き仏説阿弥陀経を誦しはじめた。明日は知恩院に行き一人だけで母の供養をしようと思ったのである。

お経を途中まで読んだら突然スタンドの明りが消えた。停電か或はスタンドの球が切れたのか判らなかったので、襖をあけて廊下に出て見た。家中真っ暗になり停電と判った。とたんに廊下の明りがついた。隣りのFの部屋も停電かどうか判らず、連れの女性が廊下に出てゐて、私と顔を合せた。浅黄の長襦袢で明らかに芸妓と判る女性だった。女性は驚いて身を翻し、Fの部屋にとびこんだ。

 

部屋に戻るとスタンドの明りは無論ついてゐた。私はまた仏説阿弥陀経を読み出す。隣は俗界の寵児が美しい女人を抱いて寝ている。外は春雨がシトシト降ってゐる。色即是空の感だった。

あとで聞くと、彼女はその方面では有名で、Hとも関係あり、FとFはお互い同士義兄弟のことを知らなかったさうだ。

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父・河崎利明 遺稿集「はとからすやまとりのこみ」

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