ESSAY|エッセイ

河崎早春/著

人生の達人は旅の達人

河崎 早春「旅のエッセイ」より

白いワイシャツに黒いズボン、いかつい眼鏡、手にはスーパーの半透明のビニール袋。これが我が敬愛するいっちゃんばあちゃんの旅のスタイルである。チビで痩せていて目立たない。照れ屋なのか、やたらに笑ったりしないので、ちょっと取っつきにくい感じがする。この辺が、世のおばあちゃんというものをあまり知らない素人には、なかなかその良さを理解できないだろう。

 

「ばあちゃん好きの早春」と言われるだけあって、私、ご年輩の女性の好みはなかなかうるさい。その私がトルコの旅でいっちゃんばあちゃんに出会い、すっかりファンになってしまった。 はじめは、なんか変なお婆さんがグループの中にいるな、ぐらいにしか思っていなかった。年代は七十代。どうやら独り者らしい。バスに乗っていると、後ろの席で何やら小声でブツブツ言っているのが聞こえてきた。 「ホゥーッ。こりゃすごい」「ハア、きれいなモンだ」

 

立ち上がったり、窓に顔を押しつけたりしてしきりに感動している。外の景色を見ているより、感動しているいっちゃんを見ている方がずっと楽しい。  時々いっちゃんはスックと立ち上がり、食べ物を配って歩く。かりん糖、せんべい、梅干し、漬け物など、いろいろなものがスーパーの袋やリュックの中に入っている。それを、 「はいっ。かりん糖!」 などと言って皆に分けてくれる。この時もいっちゃんは笑わない。ごく普通 の顔をしている。だいたいにおいて証明写真のようにまじめな顔をしていることが多い。だからものに感動したり、とてもうれしくて笑ったりすると、本当にうれしそうに見える。

 

ドライブインの裏に山羊や七面鳥がいた。いっちゃんはスタスタと近寄ると、 「はいっ。豆!」 と言って、食べかけの豆やせんべいを与えている。それは、バスの中で私たちに配るのと全く同じ調子だった。いっちゃんの前では王様も子供も動物も、皆同じという風に見えた。

 

いっちゃんは、一人で海外旅行に参加するのは初めてだという。行こうかどうしようか行く前に散々迷ったそうだ。しかし、一人でだって誰にも迷惑なんかかけないし、どこへ行っても堂々としている。英語はできないが、堂々とした態度は相手に伝わる。だから町中だってホテルだって、どこでもいっちゃんを軽んずる人はいない。よく、おのぼりさん丸出しの日本人を、ふふんと見下すように応対しているホテルのフロントマンを見かけることがある。あれは相手が旅慣れていないせいではなく、態度がオドオドしていたり、逆に変に威圧的だったり、品がなかったりするのを見抜いてしまうからだと思う。 フロントで鍵を貰うとき、いっちゃんは、

「二百三十五!」

と相手の顔を見て元気に言う。その揺るぎない態度に気圧されて、相手は一瞬動作が止まる。

「あっ、そうか。ここは日本語が通じないんだっけ。困ったねえ。じゃあ、書くもの貸してよ」 書くまねをする。フロントマンは紙とペンを渡す。

「二百三十五。はい、この部屋」

フロントマンはさっと鍵を渡す。この間、ちっともモタモタすることはない。動作も言葉もテキパキと無駄 がない。見ている私たちは思わずいっちゃんらしいなと笑ってしまう。

 

奇岩の林立するトルコ最大の観光地カッパドキアを後にし、来たに向かう途中、小さなバザールがあった。観光化されていない、素朴な村のバザール。思わず大声を上げてバスを止め、十五分だけ休憩をもらった。

果物や野菜や肉、手作りの箒、香辛料、布、いろいろな物が地面や台の上に並べられている。

売っている人ものんびりとしていて、突然の珍客をニコニコと見守っていた。十五分経って戻る。大きなスイカを抱えてきた人もいて、あとで切ってみんなで食べた。いっちゃんはと見ると、ナッツの入った大きな袋を二袋も抱えている。

「困っちゃったよ。こんないっぱい。そんなつもりじゃなかったのにねえ」 と言う。たまたま日本の商店街で貰った団扇を持っていたので、例の調子で、

「はい。この団扇、あげるよ」

と手渡したところ、その代わりにこれを持って行けと山のように袋に入れてくれたのでそうだ。

 

トルコ人というのは実に誇り高い民族だ。オスマントルコの末裔で、世界を制覇したこともあるというプライドを持っている。だから、とても親切で太っ腹で気前がいい。他人から何かして貰うと、必ずそれ以上にして返そうとする。タダで貰うなんて彼らのプライドが許さない。

「そんなにいっぱい食べられないよォ」

と断っているいっちゃんの顔と、次から次ぎへと紙袋にナッツを詰め込むトルコ人の様子が目に浮かんでおかしかった。いっちゃんの物々交換の品は、皆でお腹に詰め込んでも、まだまだ食べきれなかった。

 

いっちゃんの本名は、松本一子さんという。面 と向かっては松本さんと呼んでいるが、陰で私たちはいっちゃんと呼んだ。誰もがいっちゃんには一目置いていた。子供のように素直に楽しみ、そしてどこか凛とした雰囲気を持っていた。嫌われ者の年寄りにありがちな図々しさや無神経さがなく人に媚びない。しっかりと自分の人生を歩いているという感じが、小さな体にみなぎっていた。  後から知ったのだが、いっちゃんは紀元前の歴史や博物学を勉強するのが趣味で、大変な知識を持っているそうだ。そういえばヒッタイトの遺跡などを熱心に見ていた。

しかし、その知識をひけらかすことは一度もなかったどうみても、そのへんにいくらでもいそうな、ただの人にしか見えない。  だから、いっちゃんばあちゃんは、私の憧れの人である。

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